人生は一度きりらしいけど、決めなくてもいい場所がドゥマゲッティでした。
「人生は一度きりだから」
この言葉、
前向きなはずなのに、人を追い詰めてしまうこともあります。
早く決めなきゃ
失敗できない
今動かないと取り返しがつかない
そんな空気を、日本にいると感じることがありました。
僕自身も、その空気の中でずっと考えていました。
「正解はどれだろう」
「今の選択は間違っていないだろうか」
ドゥマゲッティで暮らし始めて、意外だったのは、
“決めなくてもいい”時間があることでした。
今日の予定が少しずれても、誰かに迷惑をかけたような空気にならない。
先の話をしても、「その時考えよう」と自然に言える。
人生を大きく決めなくても、今日をちゃんと過ごしていればいい。
そんな感覚が、この街にはあります。
(先を急がない)を超えて、(どうしてそんなに急ぐの?)
という何とも緩い感じが町中にあふれていて、すごく楽ちん((笑))
ほんとに、あくせくするのが馬鹿らしくなってしまう空気なんです。

これまで相談を受けてきたお母さんたちも、最初はよくこう言っていました。
「一度決めたら、後戻りできない気がして」
「間違えたらどうしようと思って」
でも実際は、
ほとんどの方が
“決めきらないまま”話を聞きに来ています。
移住するかどうか
留学が合うかどうか
子どもにとって正解かどうか
どれも、
すぐに答えが出るものじゃありません。
だから、
決めなくていい場所が必要なんだと思います。
ドゥマゲッティは、
挑戦の街というより、
試してみる街に近い。
住んでみる
学校を見てみる
生活費を計算してみる
やってみて、
違ったら戻る。
それが、
特別なことじゃない。
あるお母さんが、
こんなことを言っていました。
「ここに来たら、
決断しなきゃいけないと思ってたけど、
そんなことなかったですね」
その一言が、
とても印象に残っています。
父親として思うのは、
家族にとって一番きついのは、
「間違えないように生き続けること」だということです。
失敗しないことより、
修正できること。
一度選んだら終わり、ではなく、
選び直せる余地があること。
何回でもやり直せるし、それはその人が、世界をどう見るかにかかっているだけ。
誰も、文句なしだし、文句を言われているように感じるのはその人の気持ちだけ。
子どもにとっても、
それを身近で見ることは、
大きな安心につながります。
オンラインで相談を受けていた時、お母さんたちはよく言っていました。
「私が決めなきゃいけないのですよね」
「子どもの人生がかかっているから」
でも、
全部を今決めなくてもいい。
先を見通せなくても、
一歩だけ動くことはできる。
ドゥマゲッティは、
その“一歩目”が重くなりにくい場所です。
もしも今、
・人生の選択に疲れている
・正解を探し続けている
・決めなきゃと思うほど、動けなくなる
そんな状態なら。
無理に答えを出さなくていい。
覚悟を決めなくてもいい。
ただ、
決めなくてもいい場所の話を聞いてみる。
情報だけでも、なるべくリアルなものを!
それだけでも、肩の力は少し抜けます。
人生は一度きり、
たしかにそうかもしれません。
でも、
一度きりだからこそ、
途中で立ち止まれる場所があってもいい。
父親として、
現地で暮らす一人の人間として、その感覚は、正直にお伝えできます。
日本人ですから、何かの決断や行動を起こす場面で、
どうしても生真面目になってしまったり、周りの目を気にしすぎてしまったりする方が、
とても多く感じます。
南国ドゥマゲッティで、気ままな緩い生活をしているものとしては、
「もったいない!」
「もっと自由に、自分を生きてほしい」
わがままに情報を聞いて、そこで、そこからの考えって、
いろいろ違ってくるかもしれません。
まずは、
お話だけでも。

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