第3章 思い通りにならない国で学んだこと
フィリピンで生活を始めた頃、私はよく腹を立てていました。
約束の時間に来ない。
言ったことと違う。
昨日と今日で話が変わる。
停電する。
断水する。
手続きが進まない。
工事が終わらない。
日本では当たり前だったことが、当たり前ではなく、最初の頃はそのたびにイライラしていました。
なぜ守らないのか? なぜ確認しないのか? なぜ急がないのか? なぜこんなに適当なのか?
私はずっと、相手に態度を変えさせようとしていました。
しかし、フィリピンという国は、私が思っていた以上に大きかった。
私一人が怒ったところで、国も、文化も、人も変わらない。
それでも私は、私のほうが正解だと信じて、しばらく無意識に闘っていました。
思い通りにならない現実との苦しく長い闘い。
しかし、ある頃から少しずつ気づき始めます。
もしかすると、苦しいのはフィリピンの非常識が原因ではなく、私が自分の価値観に沿って、思い通りにしようとしているからではないか。
予定が変わる、船が欠航する、停電する、人が来ない。
よくよく見ると、実際にはそれらは、ただ起きていただけです。
その出来事に対して、私が怒り、不満を持ち、物語を作っていた。
(ただそれだけだった)
そう考えるようになりました。
もちろん、今でも困ることはあります。
約束は守ってほしいし、仕事はきちんとしてほしい。
そう思うこともあります。
しかし昔と違うのは、起きた出来事と、自分の反応を分けて見る癖がついたことです。
飛行機(船)が欠航した、それは事実。
その後私が、
怒るのか。
落ち込むのか。
受け入れるのか。
そこは別の話です。
若い頃の私は、起きた出来事そのものに苦しんでいると思っていました。
しかし実際には、出来事の後に作っていた物語に苦しんでいたことが多かった。
なぜ自分だけ、なぜ今なのか、どうしてこうなる。
そんな考えが、出来事を何倍にも大きくしていた。
(ただの出来事を、怒りや不安で物語を作って大きくしていた)
フィリピンは、私に忍耐や諦めを教えたわけでもありません。
むしろ、人生には思い通りにならないことがある、という当たり前の事実を教えてくれました。
そして、その事実と戦い続けるのか?(物語を作って大きくこだわるか)
受け入れて工夫するのか?(出来事として、すれ違うか)
選べるのは、自分の選択だけなのだと知りました。
今でも、予定は変わり、トラブルも起きます。
思い通りにならないこともあります、でも以前ほど苦しくありません。
なぜなら、起きることは起きる、ということを知ったからです。
風吹けば風。
雨が降れば雨。
船が止まれば船が止まっただけ。
そこに必要以上の物語を足さなくなった時、私は少しだけ自由で楽になりました。
15年のフィリピン生活で学んだことは、言語よりも、ビジネスよりも、投資よりも、もっと単純なことでした。
人生は思い通りにならない。
そして、それは決して不幸なことではない。
思い通りにならない世界の中でも、穏やかに生きる方法はある。
フィリピンという国は、それを私に教えてくれました。

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