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選択肢教育③ 思い通りにならない国で学んだこと

  • 2026.07.13

第3章        思い通りにならない国で学んだこと

 

フィリピンで生活を始めた頃、私はよく腹を立てていました。

 

約束の時間に来ない。

言ったことと違う。

昨日と今日で話が変わる。

停電する。

断水する。

手続きが進まない。

工事が終わらない。

 

日本では当たり前だったことが、当たり前ではなく、最初の頃はそのたびにイライラしていました。

 

 

なぜ守らないのか? なぜ確認しないのか? なぜ急がないのか? なぜこんなに適当なのか?

私はずっと、相手に態度を変えさせようとしていました。

 

しかし、フィリピンという国は、私が思っていた以上に大きかった。

私一人が怒ったところで、国も、文化も、人も変わらない。

それでも私は、私のほうが正解だと信じて、しばらく無意識に闘っていました。

思い通りにならない現実との苦しく長い闘い。

 

 

しかし、ある頃から少しずつ気づき始めます。

もしかすると、苦しいのはフィリピンの非常識が原因ではなく、私が自分の価値観に沿って、思い通りにしようとしているからではないか。

 

予定が変わる、船が欠航する、停電する、人が来ない。

よくよく見ると、実際にはそれらは、ただ起きていただけです。

その出来事に対して、私が怒り、不満を持ち、物語を作っていた。

(ただそれだけだった)

そう考えるようになりました。

 

 

もちろん、今でも困ることはあります。

約束は守ってほしいし、仕事はきちんとしてほしい。

そう思うこともあります。

 

しかし昔と違うのは、起きた出来事と、自分の反応を分けて見る癖がついたことです。

飛行機(船)が欠航した、それは事実。

 

その後私が、

怒るのか。

落ち込むのか。

受け入れるのか。

そこは別の話です。

 

 

若い頃の私は、起きた出来事そのものに苦しんでいると思っていました。

しかし実際には、出来事の後に作っていた物語に苦しんでいたことが多かった。

なぜ自分だけ、なぜ今なのか、どうしてこうなる。

そんな考えが、出来事を何倍にも大きくしていた。

(ただの出来事を、怒りや不安で物語を作って大きくしていた)

 

フィリピンは、私に忍耐や諦めを教えたわけでもありません。

むしろ、人生には思い通りにならないことがある、という当たり前の事実を教えてくれました。

そして、その事実と戦い続けるのか?(物語を作って大きくこだわるか)

受け入れて工夫するのか?(出来事として、すれ違うか)

選べるのは、自分の選択だけなのだと知りました。

 

 

今でも、予定は変わり、トラブルも起きます。

思い通りにならないこともあります、でも以前ほど苦しくありません。

なぜなら、起きることは起きる、ということを知ったからです。

 

風吹けば風。

雨が降れば雨。

船が止まれば船が止まっただけ。

 

そこに必要以上の物語を足さなくなった時、私は少しだけ自由で楽になりました。

 

 

15年のフィリピン生活で学んだことは、言語よりも、ビジネスよりも、投資よりも、もっと単純なことでした。

人生は思い通りにならない。

そして、それは決して不幸なことではない。

思い通りにならない世界の中でも、穏やかに生きる方法はある。

 

フィリピンという国は、それを私に教えてくれました。