第2章 失敗した話
私はこれまで、たくさん失敗してきました。
今だから言えますが、成功したことよりも、失敗したことの方が多かったと思います。
しかも、いつもそれらを隠してきました。
若い頃の私は、成功に強い憧れを持っていました。
お金をたくさん稼ぎ、人より先へ行き、自由になりたい。
そう思っていました。
だから色々なことに挑戦しました。
事業や投資、新しい企画、新しい人との出会い、海外、学び、セミナー。
その時はいつも本気でした。
その時の自分なりに、真剣に未来を良くしようとしていました。
しかし、結果だけ見れば、うまくいかなかったもののほうが多かったと思います。
特に投資で失敗した時は苦しかった。
お金を失ったことも辛かったですが、本当に辛かったのは、自分自身への失望でした。
なぜ見抜けなかったのだろう?
なぜ信じたのだろう?
なぜ焦ったのだろう?
何度も考えました。
しかし今振り返ると、私は投資で失敗したのではなく、ある考え方で失敗したのだと思います。
それは、「人生にはどこかに正解がある」という思い込みでした。
この方法なら成功する! この人についていけば大丈夫! このビジネスなら!
私はずっと、内側にある選択よりも、外側にある何かを追いかけていました。
ちょっと考えてみれば、これだけ目まぐるしく変わる(進化する)世の中の今の情報をもって判断しても、明日には正解からかけ離れたものになるのは当たり前のことです。
そして、追いかければ追いかけるほど、今いる場所が見えなくなっていました。
失敗は痛いから、できれば避けたい、誰だってそう思います。
しかし不思議なことに、私の人生を変えたのは、成功した出来事より、失敗した出来事でした。
成功した時は、自分が正しかったと思う。
しかし失敗した時は、自分が握りしめていたもの(外側にある物)が見える。
私は失敗を通して、焦り、欲、見栄、不安を見ました。
そして少しずつ、こう思うようになりました。
(ああ、これらは全部外側にある物だった)
人生体験は、外側にある比較によって生まれる成功をするためだけにあるのではない。
失敗しながら、自分が何に振り回されていたのか(執着)を知るための時間でもあるのかもしれない。
勿論、失敗はつらいし怖い。
でも、もし私が一度も失敗していなかったら、今でも外側にある何かを追いかけ続けていたと思います。
そして、今でもきっと、苦しい顔をして「どこかに正解がある」と思い続けていたでしょう。
しかし現実は違いました。
失敗は、私から多くのものを奪いましが、同時に人生経験には一つの正解しかないという思い込みも、少しずつ奪ってくれました。
それは後になって気づいた、失敗からの贈り物だったのかもしれません。

戻る