この街で過ごしていると、わざわざ説明しなくても通じる瞬間があります。
何をしているか、なぜそこにいるか、次にどこへ行くか。
それらを言葉にしなくても、そのままで成り立つ時間がある。
役割を持たないまま過ごす
知らない場所では、つい「何者か」でいようとしてしまいます。
旅行者、下見に来た人や、検討中の人。
けれどドゥマゲッティでは、そうした肩書きを持たないままでも、一日を過ごせてしまうことがあります。
座っているだけ、歩いているだけで、見ているだけ。
それでも、周囲から浮かない。

用事がなくても、場にいられる
何かを買わなくても、何かを決めなくても、理由を作らなくてもいい。
「そこにいる」だけで違和感が生まれにくい場所は、実はそれほどは多くありません。
用事がある人と、ただ過ごしている人が、同じ空間に混ざっている。
その混ざり方が、暮らしの中で効いてきます。
説明が要らないと、疲れにくい
自分の考えをまとめなくてもいいし、結論を出さなくてもいい。
方向性を示さなくてもいい。
説明が減ると、頭の疲れも減っていきます。
長く滞在する場所を考えるとき、この「疲れにくさ」は、後から効いてくる要素かもしれません。
今日は、そのままで終わる
もし今日、何も説明したくない気分だったら、それでも問題ありません。
そのままで過ごせたかどうか、居心地が崩れなかったかどうか。
今日は、それだけを持ち帰れば十分です。

戻る