こんにちは、ドゥマゲッティ移住留学サポート(DEEC)の増田です。
今日も少し、私が感じてきたことを書きます。
知識が増えるほど、不安も増えていた理由
「知っているほうが安心できる」長い間、私はそう信じていました。
知らないから不安になる。
分からないから怖くなる。
だから、知識を増やせば、不安は減っていくはずだ、と。
でも、現実は、少し違っていました。
知識は、不安を減らすはずだった
学べば学ぶほど、
選択肢が見える。
リスクが分かる。
対策が分かる。
それは、確かに事実です。
最初のうちは、知識は、安心をもたらしてくれました。
でも、あるところから逆転した
ある時点から、知識が増えるほど不安も一緒に増えていく感覚が出てきました。
知ってしまったからこそ、見えてしまう。
失敗の可能性。
想定外のケース。
最悪のシナリオ。
知らなかった頃には、なかった不安
知らなかった頃には、考えなくてよかったことを、知識は、次々と差し出してきます。
「この場合はどうなる?」
「もし、こうなったら?」
「このリスクは大丈夫か?」
知識は、問いを増やす。
単身で外に出て、知識の限界を知った
日本を離れ、単身で暮らし始めたとき、知識が、ほとんど役に立たない場面に何度も出会いました。
本で読んだ通りにいかない。
理屈では説明できない。
現場で判断するしかない。
知識が追いつかない不安
すべてを知ろうとすると、終わりがありません。
新しい情報。
新しい注意点。
新しい正解。
追いつけない、という感覚そのものが、不安を生む。
家族を持って、知識の重さが増した
再婚し、父親になり、家族と暮らすようになると、知識の重さは、さらに増しました。
教育。
健康。
安全。
「知らなかった」では済まされない気がする。
知識が、責任と結びついた
知識を持つことは、責任を持つことだと感じていました。
知っているのに、選ばなかった。
知っているのに、失敗した。
その可能性が、不安を膨らませる。

知識は、可能性も同時に増やす
知識は、選択肢を増やします。
でも同時に、選ばなかった可能性も増やす。
その結果、「もっと良い選択があったかもしれない」という思いが消えなくなる。
知識が多いほど、決断が重くなる
何も知らなければ、感覚で決められることも、知識があると、慎重になる。
慎重になること自体は悪くありません。
でも、過剰になると、動けなくなる。
知識は、安心を保証しない
あるとき、はっきり分かりました。
知識は、安心を保証しない。
どれだけ知っていても、不安は、ゼロにはならない。
不安は、知識不足ではなかった
不安の正体は、知識不足ではありませんでした。
先が見えないこと。
コントロールできないこと。
確実さがないこと。
それらは、知識では消えない。
知識で埋めようとした隙間
知識を増やすことで不安の隙間を埋めようとしていました。
でも、不安は、埋めるものではなく、共にあるものだった。
知識と距離を取るという選択
ある時期から、意識的に、知識と距離を取るようになりました。
必要な分だけ。
今の自分に扱える分だけ。
知識を減らすと、感覚が戻ってきた
情報を減らすと、不思議と、感覚が戻ってきます。
今、どう感じているか。今、無理がないか。
知識よりも、体の声が前に出てくる。
知識は、使える分だけでいい
すべてを知る必要はありません。
使える分だけ。
今、必要な分だけ。
それ以上は、抱えきれない。
子どもは、知識が少なくても動ける
子どもは、知識が少なくても、よく動きます。
失敗しながら。試しながら。感覚で。
それでも、ちゃんと前に進んでいる。
大人は、知識で動きを止めがちになる
大人になると、知識が増える分、動く前に止まりやすくなる。
それが、不安を長引かせる。
知識は、判断材料のひとつでいい
今は、知識を、判断材料のひとつとして扱っています。
すべてを決めさせない。
知識より、戻れる余地
大切なのは、知識の量より、戻れる余地。
間違えたら修正できる。
相談できる。
立て直せる。
不安は、知識ではなく関係で和らぐ
不安は、知識よりも、関係で和らぐことが多い。
話せる相手。共有できる時間。
知識が増えても、不安があっていい
知識があっても、不安がある。
それは、おかしいことではありません。
知識を手放しても、無責任ではない
すべてを知ろうとしないことは、無責任ではありません。
現実的な判断です。
知識が増えて不安になっても、ここにいていい
最後に、これだけは伝えたい。
知識が増えて不安になってしまっても、
あなたは、ここにいていい。
それは、真剣に考えてきた証拠です。

戻る