こんにちは、ドマゲティ英語留学&移住センター(DEEC)代表の増田です。
今日はフィリピンに住んでちょっと感じたことをお話しします。
「現実は見方で変わる」
がんばりすぎている私たち。
朝、目が覚めた瞬間から、 もう一日が始まっている。
洗濯。 朝ごはん。 子どもの支度。 家族の予定。
まだ自分の心に触れる前に、 一日はどんどん進んでいきます。
ふと、こんな気持ちがよぎることはありませんか?
「私、ちゃんとやってるよね?」
「誰か、わかってくれてる?」
「こんな毎日、意味あるのかな……」
フィリピンに住んでみて、 最初は正直、戸惑いばかりでした。
予定はずれる。 時間は守られない。 約束は、ふわっと変わる。
日本での感覚だと、 「ちゃんとしていない」 「だらしない」 そう見えてしまいます。
でも、しばらく暮らしているうちに、 不思議なことに気づきました。
みんな、あまり怒らない。 思い通りにいかなくても、 自分を責めない。
現実が崩れていないのです。

朝遅く起きた子どもを、笑顔で迎える親。
道が混んでも「仕方ない」とゆるす人。
小さなトラブルを大げさにせず、柔らかく受け流す人たち。
同じ出来事でも、苦しさが違う。
バスが来ない。 停電する。 急に予定が変わる。
起きていることは、日本と同じ。
でも、受け取り方が違う。
フィリピンでは、 「まあ、そういう日だよね」 で終わることが多い。
日本では、 「なんでこうなるの」 「私の段取りが悪かった?」「いや、この人に責任がある!」 と、心まで疲れてしまう。
現実は同じでも、 心に立ち上がる世界は別物でした。
私たちは毎日、現実を決めている
洗濯物が山になったとき。
「また増えた……」 と思うか、
「今日も家族が元気」 と思うか。
どちらも嘘ではありません。
でも、どちらを選ぶかで、 胸の重さが変わります。
私たちは知らないうちに、
・これは大変 ・これは我慢 ・これは当たり前
と、毎瞬、現実を決めています。
その選択が、一日の気分、家族とのやり取り、未来の自分の心に影響しているのです。
「ちゃんとしなきゃ」に疲れたら、ちょっと人間をさぼってもいい。
私たちは、 ちゃんとしなきゃ、の塊です。
父として。 母として。 人として。
でも、その「ちゃんと」は、 いつから背負ったのでしょう。
フィリピンでは、 できなくても、 遅れても、 笑われることはあっても、 責められることは少ない。
人が先で、 正しさは後。
それだけで、 心はずいぶん楽になります。
観測を、少しやさしくする
何かうまくいかないとき。
「ダメだ」と確定させる前に、 一呼吸だけしてみてください。
「今日は、こういう日なんだ」 「今は、そう見えているだけ」
それだけで十分です。
現実を、 固めすぎない。
それは甘えではなく、 生きる知恵です。
小さなことでも、目に入るいいことを見つける。
雨の日には、子どもが楽しそうに水たまりで遊ぶ姿。
疲れたときには、家族の「ありがとう」のひと言。
日常の中で、こうした小さな光を見つけることが、観測をやさしくする練習になります。
今日をどう見るかは、私たちは選べる!
完璧な日じゃなくていい。
笑顔になれない日があってもいい。
それでも、 今日を「失敗」にするか、 「よくやった日にするか」は、 あなたのまなざし次第です。
現実は外にあるのではなく、 心の中で毎日立ち上がっているという、とても静かな真実です。
小さな優しい観測の積み重ねが、 生活の満足感、心の余裕、家族の笑顔を作ります。
今日という一日が、 少しでもやさしく見えますように。

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