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アメリカ統治時代の教育と大学設立の歴史

  • 2026.01.20

こんにちは、ドゥマゲッティ英語留学&移住センター(DEEC)代表の増田です。

 

アメリカ統治時代の教育と大学設立の歴史

―― ドゥマゲッティが「大学の街」になった本当の理由

 

ドゥマゲッティを紹介するとき、必ずと言っていいほど出てくる言葉があります。

 

「大学の街ですよね」

 

確かにその通りです。

街の中心に大きな大学があり、学生が多く、街全体にどこか知的で落ち着いた空気がある。

でも、「なぜこの街に大学が生まれ、それが今も街の中心であり続けているのか」まで知っている方は、

意外と多くありません。

今回は、アメリカ統治時代の教育政策と、大学設立の歴史を通して、ドゥマゲッティが学びの街になった理由をお話しします。

 

アメリカ統治がもたらした「教育という選択」

1898年、フィリピンはスペインからアメリカへと統治が移ります。

この転換点で、アメリカが最も力を入れたのが、教育でした。

武力や宗教ではなく、「教育によって社会をつくる」という考え方。

 

公教育制度の導入

英語教育の普及

教師の養成

 

これらが、一気に進められました。

ドゥマゲッティは、この流れを受け入れる土壌がすでに整っていた街でした。

 

シリマン大学誕生の背景

1901年、アメリカ人宣教師デイヴィッド・スリマンの寄付により、シリマン大学(Silliman University)が設立されます。

当初は、小さな学校にすぎませんでした。

しかし、

 

教育を尊ぶ文化

外からの価値観を拒まない気質

静かで集中できる環境

 

これらが揃っていたドゥマゲッティでは、学びが自然に根づいていきました。

重要なのは、この大学が支配の象徴ではなかったという点です。

地域に開かれ、街とともに成長する存在として、受け入れられていったのです。

 

英語が「特別なもの」にならなかった理由

アメリカ統治時代に導入された英語教育は、フィリピン全土に影響を与えました。

でもドゥマゲッティでは、英語が「競争の道具」になりませんでした。

 

できる人が偉い

話せない人が劣っている

 

そういう空気が、あまり育たなかった。

それは、教育が人をふるいにかけるためではなく、可能性を広げるためのものとして位置づけられていたからです。

今でもこの街では、たどたどしい英語を話す外国人に対して、笑う人はほとんどいません。

 

「伝えようとしていること」を、ちゃんと聞こうとする。

 

その姿勢は、100年以上前の教育理念の延長線上にあります。

 

学生が街をつくり、街が学生を育てる

シリマン大学の特徴は、キャンパスが街と切り離されていないことです。

 

学生が街で生活する

地元の人が大学を使う

海沿いのキャンパスを誰もが歩ける

 

大学が「特別な場所」ではなく、街の一部として存在しています。

その結果、

 

夜が静か

治安が安定している

落ち着いた大人が多い

 

という街の性格が、自然と形づくられました。

 

これは、教育機関が街の“背骨”として機能している、珍しい例です。

 

親子留学と教育都市の相性

親子留学を考えるとき、多くの親御さんが心配されるのは、

 

英語についていけるか

学校で浮かないか

環境が合うか

 

という点です。

ドゥマゲッティでは、街そのものが「学ぶ人」に慣れています。

外国人学生、地方から来た学生、さまざまな背景の人がいる。

だから、少し違っていても、それが当たり前。

これは、長い教育の歴史がある街だからこそ、生まれた空気です。

 

教育が「競争」にならなかった街

都会では、教育はしばしば競争や比較と結びつきます。

でもドゥマゲッティでは、学びは生活の延長線にあります。

 

急がない

取りこぼさない

比べない

 

この感覚は、留学初期の子どもにとって、とても大切です。

英語力より先に、「ここにいていい」と感じられること。

それを可能にしているのが、アメリカ統治時代に築かれた教育の基盤なのです。

 

歴史は、今も留学の質を支えている

ドゥマゲッティが「大学の街」と呼ばれる理由は、単に大学があるからではありません。

 

教育を尊ぶ

人を育てる

違いを受け入れる

 

この価値観が、100年以上、街の中心にあり続けた。

だから今、親子留学という形で来たご家族も、自然と受け入れられる。

 

ドゥマゲッティは、教育を“安心”として提供できる街です。

初めての海外、初めての留学。

その最初の一歩を、この街が支えてくれる理由は、歴史の中に、ちゃんと刻まれています。