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がんばるのをやめたら、道が見えた。 ドゥマゲッティでの家族の日常。

  • 2026.01.06

がんばるのをやめたら、道が見えた。
ドゥマゲッティでの家族の日常。

「がんばるのをやめたら」

この言葉だけを見ると、少し無責任に聞こえるかもしれません。

怠けることを勧めているようにも、逃げているようにも、受け取られるかもしれない。

でも、ここで言いたいのは、投げ出す、という意味ではありません。

何も考えなくなる、ということでもない。

ずっと力を入れ続けていた手を、一度、そっと下ろしてみた、という感覚に近いです。

日本にいた頃の自分は、本当にいつも何かを考えていました。

今の選択は正しいのか?
このまま進んで大丈夫なのか?
もっと効率の良いやり方はないか?
周りと比べて遅れていないか?

頭の中が、ずっと動き続けている状態でした。

考えること自体は、もちろん悪くない。
むしろ真面目で、責任感がある証拠です。

でも、それが止まらない状態が続くと、気づかないうちに、心も体も疲れていきます。

それでも当時は、
「それが普通」だと思っていました。
「みんなそうやって生きている」と。

ドゥマゲッティでの生活は、何か特別な出来事が毎日起こるわけではありません。

朝起きて。
子どもを学校に送り。
仕事をして。
必要な買い物をして。
夕方には家族で食事、晩酌をする。

一日の流れだけ見れば、日本にいた頃と、それほど大きな違いはありません。

でも、一つひとつの動作の中に、不思議と余裕があります。

急かされている感じがない。「次に何をしなきゃ」と常に追われている感覚がない。

これまで相談を受けてきたお母さんたちも、最初はよくこんなことを言っていました。

「何かしなきゃと思って、ずっと気が張っていました」

「休んでいるはずなのに、全然休んだ気がしなくて」

そういう状態が長く続くと、知らないうちに、視野はどんどん狭くなっていきます。

選択肢が減っていく。
余白がなくなっていく。

こちらで暮らしていると、「今すぐ答えを出さなくてもいい」という場面が、本当に多い。

今日はここまででいい
続きはまた明日でいい

それで誰にも怒られないし、大きな問題にもならない。

その小さな積み重ねが、気持ちを少しずつ落ち着かせてくれます。

家族の日常も、自然と変わっていきました。

子どもが話しかけてきたとき、「あとで」と言わずに手を止めて聞けるようになる。

夕方、特に理由もなくただ一緒に散歩をする。

「この時間には意味があるのか」
「ちゃんとした時間にしなきゃ」


そう考えなくても、ただ一緒にいる時間が、少しずつ増えていく。

それだけで、家の空気は驚くほど変わります。

あるお母さんが、こんなことを話してくれました。

「ここに来てから、将来の不安を家族に話せるようになりました」

不安が消えたわけじゃない。悩みがなくなったわけでもない。

でも、
口に出せるようになった。
共有できるようになった。

それはきっと、がんばり続けるのを一度やめることができたから。

父親として思うのは、家族にとって一番つらいのは、問題そのものよりも、

「ずっと緊張した空気の中にいること」

なのかもしれない、ということです。

頑張ること自体は大切です。
努力が無意味だとは思っていません。

でも、
頑張り続ける場所と、力を抜いていい場所は、分けてもいい。

いつも全力でいなくていい。

ドゥマゲッティは、その「力を抜く場所」になりやすい。
少なくとも、そう感じる家族は多いです。

もし今、

・何をしていても気が休まらない
・ちゃんとやっているはずなのに苦しい
・先が見えなくなっている

そんな感覚があるなら。

無理に答えを出さなくていい。
今すぐ決断しなくてもいい。
がんばり続けなくてもいい。

ただ、
力を抜いて暮らしている家族の日常の話を、一度聞いてみる。

それだけでも、見える景色は少し変わります。

父親として、現地で家族と暮らしている立場として、
日常のことは、良いことも、そうでないことも、正直に話せます。

まずは、
お話だけでも。